岡山の総社に鬼ノ城というところがあります。岡山市から国道180号線を総社に向かって行くと、総社市に入った頃から右手北側に標高400m位の山並みが見えてきます。その山並みの頂上付近に下からでもハッキリと見えますが、お城の石垣のようなところがあります。そこは昔、温羅という鬼がいたと伝えられてきましたが、誰も正式に調べたものはいなかったのでハッキリとしたことは分かりませんでした。
それが石垣だけでなく、頂上付近に土塁らしきものが転々とあるということで、総社市が正式に調査したところ、これは古代の山城ではないかということが分かったのが、昭和46年のことです。それから本格的に調査・発掘をして現在に至っていますが、現在分かっていることは鬼ノ城の頂上付近の約30haが古代の山城であったということだけです。
何時・誰がどういう理由で作ったかは依然として不明ですが、一つの考え方として7世紀頃に築城された山城ではないかということです。
そのころの時代背景として中国は唐の時代ですが、朝鮮半島をめぐって中国の唐・朝鮮の新羅連合軍と同じく朝鮮の高句麗・百済の連合軍が争っていましたが、百済が日本にといってもそのころは倭といったそうですが、助けを求めてきたために日本(倭の国)も朝鮮半島の争いに巻き込まれてしまいました。
日本(倭の国)はそのころは大和(今の奈良県)に都がありましたが、朝鮮の白村江での海戦に高句麗・倭国の連合軍が大敗して、中国からの報復攻撃を予想して九州の北部と瀬戸内海沿岸に百済の高官の助言を得て、朝鮮の山城を模して要塞を築いたと、日本書紀に記されています。鬼ノ城は日本書紀に記録のある山城ではありませんが、朝鮮の山城と似通ったところがたくさん見られ、まだ定説とはなってはいませんが、日本書紀に載っている中国からの攻撃を想定した山城と同じ意図を持って作られた可能性が一番考えられます。
日本書紀に載っている古代山城である北九州の大野城と大変よく似ているそうです。
次回5月21日は鬼ノ城へ実際にいって現地を見ながらの講義となります。
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