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備前焼について

 世界で一番古い焼き物は日本の佐世保の泉福寺洞穴で発見されている、今から13000年前の縄文時代に作られたものらしいです。これがおそらく最初の土器で縄文式土器(焼く温度800度)、弥生式土器(焼く温度900度)から古墳時代土器(焼く温度1000度〜1100度)と焼き物を焼く温度が100度あがる毎に焼き物の質が堅くなり中世陶器の時代(焼く温度1200度〜1250度)でほぼ現在と同じ焼き方が完成されました。
 備前焼はこの平安時代そのままの作り方、焼き方を頑なにまもり続けています。他のほとんどの窯が釉薬を使いしかも1250度いう高い温度で大量生産していった時に備前焼きは昔の姿そのままに釉薬を使わず、しかも1200度という、比較的低い温度でしかも7日間もかけてじっくりと焼く方法で焼き温度が低いにもかかわらず堅い、丈夫な焼き物ができたのです。
 しかも釉薬を使わないで釉薬以上の窯変という人の手ではどうにもならない不思議な文様が現れて一部のワビ、サビを理解する茶人には圧倒的な支持を得たのです。
 又、一番備前焼が隆盛を誇った時代は室町時代以降のいわゆる戦国時代ですが、なぜ備前焼が珍重されたかといいますと、それはまず大瓶です。人間が入れるほどの大瓶は他の焼き物では作ることができません。しかもこの大瓶は不思議なことに水を長期間貯めても腐りにくいという性質があります。だから戦国の大名はこぞって籠城用に備前の大瓶を城の中に据えて水を貯蔵していたのです。又その他の貯蔵用の壺、それからいわゆる銭瓶といわれるものは100%備前焼です。ことほどさように備前焼は堅く、割れにくく丈夫という点で人々の絶対の信頼を得ていたのです。
 又九州では今でもこの備前の大瓶で焼酎を造っているらしいのですが、これが他の壺で作ったものよりもいつまでもおいしいものができるらしいです。
 しかし今の備前焼は窯も立派のものになってかえって良いものができにくくなっているらしいです。それは今の窯は耐火煉瓦を積んできれいな窯となり均一な温度でしかも温度管理も厳重にでき大量生産が可能となりましたが、昔の本当に良い偶然のなせる技、神のなせる技というような作品がなくなったそうです。
 昔の窯は筵の両側に泥を塗りつけたようなお粗末な今にも崩れそうな窯でしたが、これの方が本当の備前焼、偶然のなせる技、神のなせる技が入り込む余地があったのです。

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